| 『答えを急くつもりはない。お前が受け取る気になった時でいい』 それは、何時の事だったか。我ながら痩せ我慢に近い誓いを、およそ坊主の持ち物とも思えない銀の指輪と共に預けたのは。今、思い返せば僅か数ヶ月にも満たぬ月日であったのに。まるであれからもう何年も待ったような気がしていた。 「コーヒー、此処に置きますね」 そして時は、現在。目の前には、縁有って共に日々を過ごせるまでになったその相手。八戒は、僅かに視線をそらした瞳の、その瞼の縁を微かに朱に染めて。何気無さを装う、けれど見事に上擦った声音で、普段通りの台詞とコーヒーの薫りで室内を満たした。 「…八戒」 我知らず、呼びかけて。引き寄せた腕の先。 …その彼の。白く細い指先では、光を主張して輝く白銀のリング。近くて遠い過去の日に、己の渡したリングをその指に収めて。冷たく微かに震える指先は、此処に至るまでの逡巡の深さを思わせて。込み上げる、その愛しさの侭。 「思った通りだな。…よく似合ってる」 感嘆混じりの囁きについで、"次"への覚悟を促せば。 …朱を佩いた頬が更に又少し蒸気して、それから。 八戒はちいさくひとつ、うなづいた。 『来いよ。決まったんだろ…覚悟』 『…はい』 数ヶ月前― コンコン、と。控えめに響くノックの音。次いで、安宿の扉が軋む音と、耳朶を刺激する通りの良いテノール。三蔵は徐に、視線を落としていた新聞からドアに視線を移した。 「三蔵」 「ああ、来たか」 それは三仏神の命を受けて、不本意ながらも。4人連れ立って西への旅を始めたばかりの頃。外は季節外れの寒気に襲われて、酷く寒く。…外は、霙混じりの雨が降り続いていた。 「…あの、僕をお呼びだと聞いたんですが」 その、雨の所為かは知らないが。この所八戒の顔色は余り良くなかった。微妙に視線がぶつかるのを避けてさ迷う瞳は、長く伸び掛けの前髪に巧みに覆い隠されてはいたものの。其処に深い自嘲的な光を見出して。三蔵は舌打ちしたい思いで、眉を顰めた。 「其処に座れ」 そして呼び出した用件を未だ次げぬ侭、自分の向かいの席に促す。戸惑うような…何処か怯えに近い表情を辛うじて押し隠して。八戒はそれでも顔の表皮だけ微かに歪ませて。ワラって、うなづいた。 「あ、はい…」 無論、三蔵自身もそれほど威張れる立場でも無い。 雨、は三蔵も又得手では無かった。今だ、喪ったイタミを手放せずにいるソレは、未練と言うほど拘りの拭えないソレでこそ無かったものの。…確かにまだ、其処にイタミは純然として存在し。時に現在に勝るとも劣らぬ質量を、有していたから。 「それで、僕にお話と言うのは?」 だから本来ならば、互いに詮索などさせないし、しない。 事実三蔵と八戒は共に"雨"という共通の傷を抱えながら、それまで互いに暗黙の不可侵を其処に強いてきた。ソレを此処に至って壊そうと言うのだから、八戒にしてみれば至って迷惑な話、であろう。 「ああ、」 しかし、三蔵には三蔵の理由があった。 何故なら、三蔵は八戒に浅からぬ想いを抱いている己を自覚していたから。 …そして八戒の方も、ソレを無自覚にしろ知っていて満更でも無い、という事も。 「実はな…」 しかしそれでも、問題が無いという訳にはいかなかった。寧ろ、前途は問題だらけだと言っても良かった。互いに満更で無い想いを抱いているとは言え、それは表面的には未だ仲間同士のソレの域を出ないモノとして繕われていたし。 …とりわけ八戒の場合ソレに加えて、生きている事ソレ自体に対する深いふかい底知れぬ罪悪感が。喪った己の半身以外の相手と共に生きる事を、頑なに否定させていた。 「お前に預かって貰いたいモノが有る」 そして微妙に俯いた侭の八戒にむけて。頼まれて呉れるか?、と前もって念を押せば。案の定、八戒は"僕に出来る限りは"、と神妙にうなづいた。 …言いやがったな? 「…二言は無い、な?(ニヤリ)」 「え…、そんなに大切な物なんですか?」 「ああ、そうだ」 「…どうしてそんな大切な物を僕に?」 判って、いる積りだ。その頑ななまでの自虐的思考の持ち主をオとす、という事が。決して一筋縄では行かない難事である事位。 それでも… 「お前にしか預けられない」 そしてテーブルの上、包装も無い侭に取り出した。 銀の細いチェーンと、円形の有り触れた装飾品。 「…三・・蔵、コレ…っ!?」 だからこれは、切っ掛けだ。 時間が掛かる事は承知の上、しかも今後面倒事が山と付いて来るだろうことも。 …それでも諦める気なんざ、毛頭無かったから。 「…今は、渡せないからな」 from”S”to””H”。 リングに込めたのは言葉にすれば酷く響きは陳腐な。・・・けれど真摯で切実な願い。 「いつか、お前が受け取る気になった時で良い。・・・まぁ、捨てる気になった時でも構わんが。それまで、預かって置いてくれ」 多分一生のうち、コレ程緊張した事は後にも先にも最後だろうと、確実に断言できる程に。…おそらくその時の自分は柄にも無く、緊張していた…事だろう。 「三蔵・・・っ」 そして目の前では、泣き虫な瞳が。イタミを堪えるような、翡翠色に歪んだ。 だから、まだ。今でなくとも 良くは無いが構わない、とだけ言った もしも何時か遠いとおい未来に 自分の存在を、移り変わってゆくキモチを …許せる時が来たなら、どうか その時こそは、と… そうして時は、再び現在。 「八戒」 「………」 「…おい」 「…知りません、もう///」 情事の興奮と余韻が醒めてみれば、妙に。どうにも互いに面映い二人きりの空間。寝乱れた寝台の中、三蔵と八戒は。先刻からずっと、互いに微妙に視線を明後日の方角に逃がしていた。 「ナニ拗ねてんだ」 「…別に、拗ねてる訳じゃありませんけど」 汗の引いた躯が落された室内の照明に照らされて、白く浮きあがるようなソレは。上目づかいに三蔵を暗黙に責める、意味有りげな視線と相俟って。普段の露出の少ない、禁欲妙な服装や言動とは打って変って。妙に婀娜めいた印象を与える。心持ち目を眇めて三蔵は、それまで咥えていた煙草を備え付けの灰皿で押し消した。 「なら後悔でも、してんのか?」 「…怒りますよ?(ハァト)」 「言ってみただけ、だ(ニヤリ)」 戯れに投げかけた的外れな問いは、案の定変化球で投げ返されて。 そして二人、しめし合わせたように。 絶え切れず、笑顔で。 「ふふふ…っ」 「くっ」 そして二人、笑顔の侭で。戯れるように髪を梳いて、時折掠めるだけの軽いキスを仕掛ければ。柔らかな翡翠の瞳が、擽ったそうに笑んだ。 「・・・ああ。ソレ、だ」 「はい?」 そして徐に、真面目な顔に戻ると。三蔵は情事の前、八戒が外した例のリングをベッドサイドから取り上げた。…そして神妙な面持ちの侭、ソレを再び手ずから八戒の左手の薬指に、戻した。 「…ずっと、んなツラさせて見たいと、思ってた」 やっと、見れたな。 銀に光る誓約の証ごと、薬指にくちづけて。 二度とは言わない積りの、照れ臭い事この上ない台詞は、プロポーズ代わり。 …1度しか、言わねぇけどな。 「三蔵…っ」 そして相変わらずに無き虫な瞳は、再び。 今度こそ嬉し涙に、潤んだ。 だからもうアノ胸の悪くなるような、アイツの。 自嘲と自虐に歪む今にも泣き出しそうな笑顔は、二度と見ない。 |
| ―了―
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| 「Jade」(閉鎖)様にて80000hitのキリ番を踏んだ時のリクエスト品♪ リク内容は、『「Engage」サイドストーリー、指輪を最初に渡すシーンと事後(爆)に改めて三蔵様が八戒さんの指にそれを嵌めてキスする話』(長いよ)。 「Engage」の序盤、回想の形で綴られたシーンがとても印象的で、それ自体一つの話として成り立つと考えた末のリクエスト。そんな香月の我侭を快く聞いて下さったマスター様には感謝してもしきれません。 立花悠希様、本当に有難うございました! |
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