有り難き戴き物です♪





一夜明けた昼日中、例の如く、『治療』の補助を、悟浄はしている。
これで四度目。
既に見慣れた光景だった。
悟空は、拍子抜けするほどにあっさりと、『治療行為』に納得していた。
悟浄は、彼ほどすんなりそれを受け入れたわけではない。
治療を重ねる毎、不思議なことに、三蔵の雰囲気が変わっていく。
艶やかになるのだ。今では、色気が匂い立つようでさえある。
男を誘う女の色気とは、また違う。かと言って、男臭い男の色気と言うものでもない。
今の三蔵は、性別を越えて、人を惹きつけてしまうだろう雰囲気がある。虫が飛び込んで
しまう炎のよう、と言うべきか。大勢の中に入れば、一際差は際立つだろう。圧倒的で
すらあるかもしれない。ひょっとしたら、町場での治療でなくて良かったのかもしれない。
今なら、とんだ騒動の元になってしまっていたかもしれなかった。
そんなことを考えながら八戒に唇を合わせる三蔵を見下ろして、悟浄は腕の中で身じろいだ
八戒の様子に、いち早く気が付いた。
ほっとした。
親友の身を心配していたと言うのも勿論だが、これで、これ以上の居心地の悪さを
感じなくて済むと言うのもあった。他人の情事を覗き見しているような、そんな気分に、
もう遭わなくて済むのだ。あとは、もう二人で勝手にやって欲しい。
「おっ、目ぇ、覚めたか?」
心からの安堵が、言葉に滲んだ。






傍らに人の気配がした。
ゆっくりと意識は覚醒に向かうが、身体の方はすぐに行動を起こせそうだとは
思えなかった。
ひどく身体がだるい。身を起こすどころか、指一本すら動かすのが億劫だ。
温かい手が頬に添えられ、口が覆われた。唇をこじ開けて、生ぬるい液体が喉に流し
込まれた。
こくり、と飲み込む、とても苦かった。しかし、身体はもっと欲しいと訴えていた。
(喉が渇いているのかな)
そんなことを他人事のように思いながら、八戒はゆるゆると目蓋を押し上げた。
最初に目に入ったのは、肌色。人の肌だ。では、自分の唇を覆っているのは、誰かの
唇なのだろう。思って、ぴくりと身体を強張らせた。無防備な自分の現状に、警戒心が
一気に戻ってきたのだ。
「おっ、目ぇ、覚めたか?」
安堵の滲む、聞きなれた声。悟浄だ。なら、この唇は、彼のものではないのであろう。
では、誰なのか。
そして、本当に、一気に意識は覚醒したのだ。
(まさか!)
離れて行く顔に、八戒の焦点が合った。
白い肌。紫色の瞳が自分を覗き込み、離れて行く。さらり、と柔らかい金の髪が、頬を
くすぐって行った。
「……さ、んぞ、う……?」
かすれた声は、自分のものとは思えないほど。喉も痛かった。そして、何故か、頬も。
「……気が付いたなら、残りは自分で飲め」
衝撃が覚めやらぬまま、差し出された湯呑を受け取ろうとするのだが、握ることが
出来ない。まだ身体に力が入らないのだ。
「仕方がねえな」
苛々と吐き捨てるように告げる三蔵に、泣きたくなる。
だが、その悲嘆も、次の衝撃に吹き飛んだ。
三蔵が、八戒の手に手を添え、湯呑を持たせたのだ。そっと、口元まで持ち上げられ、
促されるままに薬湯を口に含んだ。苦い、はずだった。なのに、それはとても甘く、
喉を潤した。
瞬く間に薬湯がなくなる。口元から離される。三蔵の手が八戒の手から湯呑を取り
上げると、途端、その温もりが離れていくことに胸が痛くなった。
「あの!」
ふと戻される視線。いつもの強い眼に、彼が何を考えているのかは読み取れない。
「もう一杯、いただけますか?喉が渇いて……」
「薬湯は摂り過ぎても良くない。白湯にしとけ」
言って、悟浄に視線を向けるが、一人でまだ身体を起こすことが出来ない八戒が、
彼に体重を預けているのを見て取って、三蔵は嫌そうな顔をした。舌打ち。身体を
起こすと、自分で湯呑を持って竈まで歩いて行った。
「悟浄、お手数をお掛けしました」
「ん〜、礼ならアッチね。俺、介添えしただけだから」
「三蔵?」
「そ、驚いたことにね。それよりよ、町に着いたら、ちょっと大変かもよ。お前さんも
覚悟しといてな」
苦笑しているらしい悟浄を見上げた。何が大変だというのだろう。
「お前から見ても、分かるんじゃない?ここ一日で、随分と色っぽくなっちまって。
町に着いたら、騒動の元になるんじゃないかなあ、と。ま、俺としてはどうでも
いいんだけど。お前、きっちりとガードしてやったら?」
礼代わりになるんじゃね?
軽く何かを含むかのようなその言葉に、三蔵の後ろ姿を見つめた。
彼が何を言いたいのかが良く分からなかった。自分にとって、三蔵はいつだって
魅力的だから、悟浄にいきなりそう言い出されても、今更、と言う感じだったのだ。
「三蔵が色っぽいのって、今更じゃないですか?」
笑ってそう返せば、悟浄の眼が光を弾いて、一瞬光ったような気がした。首を傾げて
問いかける前に、彼が薄く笑って答えが返ってきた。
「そういや、そうだな。よく酔っ払いに絡まれていたっけっか。それよか、もう
身体起こせるか?」
言われて、凭れていた身体を起こす。まだふらりと心もとない感じがするが、辛くは
なかった。
「ええ。大丈夫です。ありがとうございます」
座りなおすと、三蔵が白湯を持ってきてくれた。礼を言って、受け取る。
何も言わなくとも、手を添えて飲ませてくれる。
ああ。
この瞬間が、ずっと続けば良いのに。
彼の手の温もり。傍にいると香る、彼の匂い。三蔵が触れた自分の唇は、未だ温もりを
止めている。
――切なすぎて、胸が苦しくなった。








悟空が戻って来ると、一気に場は賑やかになった。
手には山ほどの果実と木の実。
目を覚ました八戒に笑いかけ、ジープと一緒に取ったのだと、誇らしげに報告していた。
「三蔵、手、切った」
「水で洗って、薬を塗れ」
「その薬が、ない」
またか、と呟いて、三蔵は額を押さえた。なんだって、傷薬の消費がこんなに早いんだ。
ぐるり、と見渡して手近にある植物の葉っぱをむしった。
「傷口を水で洗って、この葉も洗って汚れを取ったら、揉んで汁を塗りつけろ」
「これって、餅に入れる奴だよね。食べれるの?」
きらり、と目を輝かせる悟空に、喰いもんが絡むと良く覚えていると感心しながら、
三蔵は顔をしかめてみせた。
「ヨモギが喰えるのは若葉だ。そいつは食うな」
「わかった!」
駆け出した悟空が、ふと足を止めた。
「ああ、そうだ」
思い出したかのように振り向いた。
「麓に下りるまで安全だって」
「誰が、だ?いつも言うが、分かるように喋れ」
「そこいらにいた狼。昨日、獲った猪の肉、分けてやったんだ。そしたら、俺たちは
襲わないって。それとさ、奥さんを楽にしてくれてありがとうって。敵を取ってくれた
お礼に、仲間に知らせてくれたってさ」
人とも妖怪とも違う、特異な存在である自然児。
普段は忘れていた八戒と悟浄は、それをまざまざと思い出させられて、不覚にも
言葉を失った。なんて反応して良いのか、思いつかなかったのだ。
「そうか。それは助かるな」
それに対して、あっさりと返した三蔵の答え。あまりにも当たり前のように返されて、
二人の間にある絆に、今更ながら気付かされた。
ちりり、と八戒の胸が焦がれる。
無いものねだりだと、頭は理解している。
なのに、気持ちは裏腹だった。彼との間に、こんな繋がりが自分も欲しいのだ。
特別な、心の交流。
ふと三蔵の方を見遣ると、彼の肉厚な唇が眼に飛び込んだ。
あの唇が、自分の唇に触れたのだ。
どくり、と血が騒いだ。頬が熱い。
(違う)
心の交流、なんて、それはまやかしだ。それが望みではない。
自分は、彼の心も身体も欲しい。
「明日の朝、出発する。もう運転は大丈夫だな?」
訊くというよりは、確認。
首を横に振ることなんて、意地でも出来なかった。
それが自分の存在価値なら、見限られるような真似はしたくない。
にっこりと笑顔を作り、八戒は力強く頷いた。
せめてそれくらいの意地は、低くないプライドにかけても、張り通したかったのだ。








その町が見えてきたとき、八戒は不覚にも泣きそうになった。
ここまでの道のりは、彼をもってしても辛かった。
目が覚めてからも、三蔵の煎じてくれた薬湯を食後に飲まされていて良かったと
思った。
それでも、身体がだるくて、重かった。
敵が襲撃してこなかったことは、まさに僥倖。戦いなんてことになっていたら、
再び倒れてしまっていたかもしれない。
「早いですけど、今日はここで泊まりで良いですか?色々補充しなければならない
ものもありますし」
まだ午後を少し回ったばかり。こんなとき、いつも渋い顔をする三蔵は、今日もまた
不機嫌な顔で頷いた。
「買出しは明日にしろ。この町には二泊して、明後日の朝、出発する」
「え?」
耳を疑ったのは、八戒だけでない。その証拠に、しつこく訊きなおしてはハリセンを
食らう悟浄の姿がある。悟空も、どこかはしゃいでいるようだ。
八戒は、と言うと、実は心から安堵していた。一日あれば、体力が戻る。その自信は
あった。足手まといになるつもりは、毛頭なかった。
「では、二泊で部屋を取ってきますね」
今日は、個室を四つ。是が非でも取ろうと、心に決めた。
弱る姿など、誰にも――特に、三蔵には――見せたくない。
手負いの獣じみた治療法だが、構わない。恐らく、ここにいる全員、そう思うだろうから。
「あ、俺が行って来るぜ?」
宿に入ると、気遣ってくれたのか、気軽に悟浄がフロントへ向かう。
だが、その気遣いが有り難いと思ったのは、彼が戻るまでだった。
「ツイン、二つね。ほい」
軽く投げられた鍵を、三蔵が受け取った。
何故。
そう思う間にも、部屋割りも決まってしまう。
「サル、今日は俺とだ。今日ぐらい、八戒を休ませてやれ」
「サル、っつうなよ!分かったよ。仕方ねえな、今日はカッパで我慢してやらあ。
ジープも、今日はこっちにいろよ」
「うっわ!サルのくせに、なっまいきだねえ!」
「サル、言うな!」
いつものやり取りでじゃれあいながら、部屋に向かう二人。その二人に纏いつくように、
ジープも行ってしまった。
「おい、行くぞ」
溜息ひとつ吐いて、三蔵が声を掛けて来た。さぞや面倒臭いのだろう。眉間に寄った
シワが心苦しい。
「あの、今から個室を取り直しますか?」
「別に構わんだろう」
最後の望みも、当の本人から断ち切られた。
仕方がない。
気重な息を吐いて、八戒も三蔵の後ろを付いて行った。








法衣をはだけさせ、煙草とコーヒーと新聞。
それが三蔵の寛ぐスタイルだ。
「コーヒー、淹れましょうか?」
だから、部屋に入った途端、八戒はそう声を掛けた。いつもなら、『頼む』と頷く彼が、
この日は違った。
経文を外し、法衣を脱ぐ。煩わしげに腕の手甲まで外すのは、秋口とは言え、今日は
暑かったからだろう。そのまま、幾ばくかの小銭をジーンズのポケットに突っ込み、
彼は首を振った。
「いや、煙草を買ってくる。明日の買出しまでもたねえ」
そして、そのままさっさと部屋を出てしまった。
自分を休ませるための気遣いか。はたまた、一人になりたいだけか。
どちらともつかないが、恐らくは、後者だ。彼は、いつでも一人になりたがる。
自分の手を、本当は必要としていない。もの凄い横着者なのに、実は何でも出来るのだ。
そんなことは、最初から分かっていた。それでも、何くれなく手を出してしまうのは、
自分が必要とされたいと願っているからだ。
気付いてしまった。気付かされてしまった。
本当に、なんて浅ましいんだろう。
「あれ?三蔵、出掛けたの?あの格好で?」
部屋の中で呆然と立ち尽くしていたら、戸口から声を掛けられた。悟浄が部屋を覗き込み、
脱ぎ捨てられた法衣に目を留めて、ふと意味ありげに笑った。
八戒が目を覚ましてから、彼はこんな思わせぶりな態度を取る。それが、今は奇妙なほど
気に障った。
「煙草を買いに行きましたよ」
我ながら、愛想の無い声だ。
「ふ〜ん、そう」
「何が言いたいんです、さっきから」
「お前さあ、この前、俺が言ったこと、覚えてる?」
何のことかと目を細めた。今は、彼の軽口に付き合えるほど、気持ち的にも体力的にも
余裕は無い。
「今のあいつ、マジ、やばいぜ?町に入ってから、あいつに集まる視線、お前、
気付いてないだろう?あんな身体のラインのバッチリ出る格好で歩いて、狼の群れの
中を歩く羊ちゃんみたいなものだぜ?」
ま、物騒な羊ちゃんだから、自分の身くらい守れるだろうけどさ。
薄く笑いながら、そう続ける。煽るような言い方が、気に入らない。
「だから、何が言いたいんです?」
「さあ?ま、折角ヤツが気を遣ってくれたんだ。ゆっくり休めば?」
ひらひらと手を振って部屋を去る悟浄の後ろ姿を、八戒は睨むような眼差しで見送った。
脱ぎ散らかされた法衣を畳み、経文をチェストの引き出しに放り込む。
それから、力なくベッドに腰を下ろした。いつしか、知らず知らずのうちに、右手で
シャツを握り締めていた。左胸の、心臓の上。鳩尾の奥から湧き上がる焦燥感が、
じりじりと喉元を塞ぐ。
悟浄の声が、頭の中で何度も蘇える。
じっと、休んでいることなんか、出来そうもなかった。








「……いた……」
そして、八戒は俄に起きた頭痛に、額を押さえた。
「……本当に、騒ぎを起こしてますね……」
三蔵は、立ち回りの真っ最中だった。道の真ん中で五人ほどの男たちに取り囲まれ、
凛と立っている。足元には、腹やら足やら抱えて転がる男が既に二人ほど。
一体、何をやっているのだろう。
「何、やってるんですか、こんなところで!」
八戒は割って入ると、三蔵と背中合わせに立った。
「売られた喧嘩は買う主義でな。お前こそ、このくらいの喧嘩で手を出すんじゃねえよ」
「ぼんやり野次馬なんて、やってられるわけないでしょう?」
話している間に、相手は一人、二人と地面に転がる。
「あなたたちも、これ以上怪我しないうちに、お仲間を連れて帰ったら如何です?」
怯んだ男たちに、八戒の息も乱さぬ声が告げる。冷たく響く声に、一歩下がると
後はなし崩しだった。悲鳴じみた声が喉から漏れると、立っていた男たちは、仲間を
見捨てて一目散に逃げ出してしまった。
「あ〜あ、仲間捨てて行っちゃいましたね」
足元に転がる男を爪先でつつきながら、面白くもなさそうに八戒が呟いた。
「何しに来た」
「散歩ですよ。暇だったから。あなたは、もう煙草を買ったんですか?」
「ああ」
「それなら、一緒に帰りましょう」
八戒は三蔵の腕を掴むと、さっさとその場から歩き始めた。
「おい」
何やら文句を言いたそうな三蔵を無視して、彼の腕を掴む手に力を込めた。
「八戒、手を離せ」
もうすぐ宿に着くと言う所まで来て、ようやく八戒が歩調を緩めると、呆れた視線が
投げられた。
「逃げやしねえよ。離せ。……ったく、何を苛付いてやがるんだ」
八戒の手の力を緩めると、途端に腕を払われた。
「折角、気が休まるように出て来てやったのに、何しに来た、病人」
「言ったでしょう、散歩だって。あなたこそ、どうしてそんなに機嫌が悪いんです?」
「病人のくせに生意気言ってんじゃねえよ。俺の機嫌の悪いのは、いつものことじゃねえか」
「病気すると、気が弱って寂しくなるんですよ」
「なら、悟浄でも悟空でもジープでも、部屋に連れ込めば良いだろう?」
「あなたがいないと心配で、おちおち寝てもいられません」
「一人歩きも出来ないと心配されるほど、そんなに弱かねえ」
吐き捨てる口調で、三蔵が呟く。押し殺した声には、怒りが込められていた。
「あなたが弱いとか強いとかの問題じゃないんです。僕が、あなたが傍にいないのが、
嫌なんです」
「てめえの我が儘だろう」
「病人は我が儘なもんなんです」
二人の視線が絡み、睨みあった。
「……こんなとこで、何、やってんの?」
声を掛けられて視線を向けると、呆れた顔の悟浄が立っていた。周りを見渡せば、
宿の玄関先まで、既に来てしまっていた。
「何でもねえよ!」
舌打ちと共に三蔵が言って、奥へと姿を消した。問うように八戒に視線を向けると、
何でもないですよ、と笑って答えが返った。
「ふ〜ん。ま、どうでもいいけど。俺、ちょっと出てくるわ。夕飯には戻る。
ガキとジープはお昼寝中だから、な」
目配せ。意味ありげなソレは、見ない振りをした。
「いってらっしゃい」
にこやかな笑顔で送り出す声を背に受けて、悟浄はひらひらと手を振った。
『全く、じれったいことだね……』
色事に関しては百戦錬磨の男がそう呟いたのを、幸か不幸か、二人は耳にしなかった。








(疲れた……)
八戒は部屋に入ると、ベッドに腰掛けた。三蔵の姿はない。悟空の部屋にでも
行ったのだろうか。あれほど言ったのに、自分の傍にいてくれる気はないらしい。
(まあ、それが正解なのかもしれないですけど……)
彼に言われた通り、今の自分は気が立っている。喧嘩沙汰になった彼を見て、
腹を立てているのだ。
問い質さなくとも、喧嘩の原因なんて分かり切っている。あの男たちは、三蔵に手を
出しかけて、逆に袋叩きにあっただけのことだろう。
それが、無性に腹立たしいのだ。
誰の眼にも彼の姿を見せたくない。触れさせたくない。
たとえ、殴ると言う行為でさえ、彼の手があの男たちの身体に触れたことには
変わりはない。
それを、許せないと思えてしまうのだ。
くだらない独占欲。
そんなことを言う権利は、自分にはありはしないのに。
やり切れない自己嫌悪に、眩暈がしそうだ。
思わずベッドに横たわると、くらりと世界が回った。
本当に眩暈を起こしているのだと気付く頃、意識は暗い中に引き込まれていく。
(無茶、したからなあ……)
呟きは、声に出せずに、喉の奥に消えた。








馬鹿だ馬鹿だと思っていたら、本気で馬鹿だった。
溜息が口をついて出た。
体力が限界だったのだろう。倒れ臥すようにしてベッドに横たわる八戒を、三蔵は
見下ろす。腰掛けたまま倒れたのか。足は、投げ出すようにベッドからはみ出ていた。
「しょうがねえ奴」
呟きは、むしろ嬉しそうだった。
足を抱え、ベッドに乗せる。そして、そのベッドの端に静かに腰を下ろすと、彼が
起きているときには絶対に見せないであろう柔らかい表情で、八戒の黒髪をさらさらと
梳いた。
少し貧血を起こしている顔色は白い。お気に入りの顔の輪郭を指で辿り、少し開かれた
薄い唇に指を這わせる。
八戒が意識を回復するまで、この唇は自分のものだった。
見せつけるように、悟浄の目の前で、唇を合わせて見せた。
親友同士と言うには少々濃すぎる二人の仲を、少し羨んでいたのだとは、口にする
ことは出来ない。
「まだ、目を覚ますなよ」
小さく囁いた声は、ひどく甘い。
三蔵は屈み込むと、眠る八戒の顔の横に手をついて、その唇にそっと唇を寄せた。








何か、心地よい感触がした。すぐに離れて行ってしまったが、前にも触れた覚えの
あるものだと思った。
(何だろう?)
考えている間に、次第に意識がはっきりして来た。目を覚まして、軽く頭を振る。
ああ、そうだ。部屋に入って、貧血を起こして意識を失ったんだった。
部屋を見渡すと、三蔵が新聞を手に、椅子に座るところだった。
「……三蔵?」
彼の姿を見た途端、さっきの感触が何だったか、思い出した。薬湯を飲ませてくれて
いた、三蔵の唇だ。
「起きたか?」
振り向いた三蔵のその口元に、ついつい視線が吸い寄せられる。
そんなはずない。
そんなはずないのに、わずかに色づいた唇から目が離せない。
「八戒?起きられるようなら、これを飲め」
差し出されたグラス。どろりとした緑色の液体が重く揺れた。
「……何でしょうか、これ?」
「グリーンジュースだ」
どこか悪戯っぽい表情。とても艶めいて見える。悟浄が言っていたのは、これだろうか。
不意に納得した。確かに、匂い立つような色が見える。
「おい?」
「あ、いただきます」
訝しげな声に、反射的に受け取った。受け取ってから、躊躇う。
コレを飲むのか?
じっとみつめたままの三蔵に、無言の圧力を感じる。その視線に、思わず頬が熱くなり、
誤魔化すように一気にソレを飲み干した。
「――……!」
くつくつと、楽しそうに三蔵が笑う。してやったり、と言ったその顔にすら、口の中の
不味さを忘れて、見惚れてしまう。
「……何ですか、これ?」
「グリーンアスパラ、パセリ、蕪の葉をすり潰したもんだ。貧血やスタミナ増強に効く」
「――ものすっごく、不味いんですけど……」
ついつい、恨めしげな声になる。
「そうか?」
「一言言ってくれれば良いのに」
「そうしたら、つまらねえじゃねえか」
そう言って、三蔵はまた笑った。
「水で割って蜂蜜を入れたり、レモン汁で割ったりもするがな、ストレートで飲むのが、
一番効くんだ。ああ。氷を入れて冷やしても、割りあい飲みやすくなるな」
「――三蔵……」
さっきの仕返しだ。そうに違いない。
恨めしげに見つめると、ふい、と近寄った三蔵の白い指が、八戒の口の端に付いた
液体をすくった。ぺろり、とそれを舐める。その姿に、八戒は金縛りにあったように
固まった。
何てことをしてくれるのか。
呻き声を押し殺す。
もう、我慢も限界だった。
「たいしたこと、ねえじゃねえか」
そんなことを言って離れて行く三蔵の腕を、捉えた。ぴくり、と眉を上げて不快を示す
その表情を無視した。力を込めて引くと、腕の中に抱き込む。素早く膝の上に抱え上げて
しまう。
「ホントに、不味かったんですよ」
小さく囁いた。そして、非難の言葉を聞く前に、その唇を塞いでしまった。
歯を食いしばって堪えられてしまう前に、するりと口の中に舌を差し入れる。
逃げる前に舌を絡めて、思う存分堪能した。
固く強張って拒否する身体が、腕の中で力無く弛緩してしまうまで、離さずに唇を
奪い続けた。
彼の口の中は熱く、彼の吐息は芳しい。
濡れた音を立てて、唇が離れた。
白い頬が上気して、紫の瞳は少し潤んで見えた。
「どうです?苦かったでしょう?」
自分の声が、欲情にかすれた。情けないほどに、接吻ひとつで、この身体は容易く
反応してしまっている。
「苦くなんか、ねえよ……」
身じろいで身体を離そうとした三蔵は、ぎくり、と身体を固くした。
「――お前……」
欲情し、反応を示している八戒の男性自身が、三蔵の大腿に触れたのだ。
もう、誤魔化すことなんか出来ない。
「軽蔑しますか?僕を避けますか?でも、あなたに嫌われても、僕はあなたの傍に
います。どこまでも、付いていきますから。ストーカーみたいですよね、僕。
でも、あなたが好きなんです」
告げると、彼の顔が直視できなくて、俯いてしまった。
殴られるかもしれない。殺されるかもしれない。
でも、嫌悪の表情をあらわす彼の顔なんて、この眼で確認することなんか出来なかった。
鼻の奥がツンと痛んで、目の前が滲んだ。
「何、泣いてやがる」
頬に温かい手が当てられ、顔を上げさせられた。ぐい、と乱暴に目元を拭われ、
恐る恐る目蓋を上げた。
「気持ち悪く、ないんですか?あなた、こういうこと言われるの、嫌いでしょう?」
「確かに、男にそう言われて、勃ったもん、押し付けられるのは怖気をふるうがな。
けど、お前に言われると気分が良い。何故なんだろうな」
言われた言葉が信じられなくて、まじまじと三蔵の顔を見つめた。
さっきより赤く染まった頬だが、不本意なのだと、寄る眉が語る。
「……僕のこと、好き、ですか?」
「わかんねえよ、そんなこと」
顔をしかめた三蔵が、ふと思い出したように顔を上げた。
「そうだな、この顔は好きだな」
指が、頬を辿る。唇に触れる。
ひとつひとつの彼の動作に、胸が高鳴った。
「何を言い出すかとひやひやするお前との会話も、緊張感があって気に入っている」
そうしてから、突き放すように三蔵は八戒の肩を強く押した。
これで終わりだというように立ち上がろうとするのを、八戒は腕に力を込めて、
押さえ込んだ。
「僕とのキスは、如何です?」
三蔵の唇に、恐る恐る指で触れた。
「さあな。さっきまで泣いてたくせに、いきなり強気だな」
「あなたが僕を嬉しがらせてくれるからですよ。ねえ、確かめてみませんか?」
指の腹で撫でると、唇の間に割りいれた。甘噛みされ、舌が触れる。
了承と取って、そっと口付けをした。
啄ばむようなキス。繰り返して、口付けを深くする。互いの吐息が絡まる。
「……ふっ……、ん……」
甘い声が、零れ落ちる。その声に、八戒の熱も煽られた。
そろり、背骨に沿って手を這わせた。腕の中の身体が跳ねた。意図は伝わったようだ。
「止せ、病人のくせに」
「明日一日、あなたが看病してくれるんでしょう?」
シャツの裾から入り込む悪戯な手を防ぎながら、三蔵の焦った声が叫んだ。
「待て!俺が抱かれる方なのか?」
ぴたり、と手は止まった。三蔵がそのことにほっとする暇もなく、続けられた八戒の
言葉に、三蔵は固まった。
「別に逆でも僕は構いませんけど。でも、あなた、僕を抱く気がありますか?」
言葉に詰まる。確かに八戒のことは気に入っている。恐らく、それは好きと言っても
良い感情なのだろう。
しかし、身体を合わせる覚悟までは定まっていなかった。
しかも、自分より体格の良い、男、となんて。
一瞬返事に窮した沈黙を、八戒は了承と取ったのだろう。今度は確実な意志をもって、
シャツの中にある手は蠢き出す。
「だからって!この展開は急すぎるだろうが!」
「僕、今は気が弱っているんです。病人だから」
「だから!」
抗う三蔵を抱き寄せた。鼻先で髪をかき分けるようにして、首筋に舌を這わせる。
「誰かに横から攫われてしまうんじゃないだろうかと、心配なんです。だから、これは
マーキングですよ」
「マーキング、って……。猫は身体をすり寄せるだけだろう」
「僕たちは猫じゃありませんよ。僕たちには、僕たちしか出来ないやり方で、ね」
ぐい、とベッドに三蔵の身体は押し付けられた。
「ね、じゃねえだろ〜!」
「まあまあ」
叫ぶ三蔵の衣服を、抵抗をものともせず、八戒は手早く剥いでしまう。
逃がさぬよう自分の腹の上に腰を落とし、シャツを脱ぐ男の身体に、思わず三蔵は
息を飲んだ。
同室になった日は数知れず。着替えなど見慣れているはずだった。けれど、こんな風に
彼の裸を見上げたことなどなく、まじまじと見たこともなかったことに三蔵は気がついた。
これから、身体を合わせるのだ。抱き合ってしまうのだ。
言いようもない気恥ずかしさに、全身が桜色に色づいた。
ごくり、と八戒が唾を飲み込む音がする。三蔵の身体を見下ろす八戒の眼が、情欲に
濡れた。
その視線に晒されて、腹の奥がむずむずする。もう、どうだっていい。なんだっていい。
触れ合いたい。三蔵はそう思った。
八戒の腹の傷跡に手を伸ばした。ぴくり、と掌の下で、筋肉が収斂した。
三蔵は、そのままジーンズのファスナーに手を滑らせた。
「……っくしょう!話は後だ。てめえもさっさと脱いじまえ!」
陥落した三蔵に、ふわりとした笑顔を向けて、八戒は残りの衣服を脱ぎさった。








鼻歌交じりに、悟浄は宿の階段を上った。ゆったりとした足取りは、どことなく弾んで
いるように見えた。
ナンパが成功したのだ。
この宿とは別に、二晩の寝床が確保出来た。夕飯を食って、彼女の仕事が終わる頃を
見計らって会いに行く手はずは整っていた。
「飯の前に、あの二人はどうなったかな?」
お互い想い合っているのは一目瞭然なのに、ちっとも進展しない二人の仲。
じれったいったらありゃしない。また八戒あたりに発破かけて、三蔵の方も少し
つついてみるか。
悟浄は、ノックもしないで、二人の部屋の扉を押し開けた。
「あらら……」
西日でむっとする暑さの部屋の中、ある特有の匂いが微かに混ざる。
疲労困憊して眠る三蔵を、背中から抱き締めるように眠る八戒の顔は、まだ少し白い。
悟浄はそっとドアを閉めると、足音をひそめて窓に向かった。軋む音を気にしながら、
窓を全開にする。夕方の冷えた空気が、部屋に流れ込んだ。
「まあ、二人とも、若い男だもんねえ」
呟いて、小さく笑った。
散々気をもませてくれた割に、展開はあっという間だった。
くすくすと笑いながら部屋を出ると、夕飯の支度で殺気立つ厨房で、宿の女の子を
構いながら、手早く二人分の握り飯を作ってもらう。お茶をポットに詰めてもらって、
再び、彼らの部屋を訪れた。
人の気配にピクリともしない二人に、自然と笑いが零れた。
備え付けの便箋に、ボールペンで殴り書く。

 『悟空の飯は食わせておく。
  今度から、ドアの鍵は閉めること。     悟浄
  追伸。窓を開けといたので、起きたら閉めること。』

(起きて、あのメモを見たら、一体どんな顔をするだろう)
廊下に出て、にやにやと悟浄は笑った。








―了―
「加賀屋万年堂」(閉鎖)様にてキリ番を踏んだ時のリクエスト品。
リク内容は『三蔵が八戒を治療する話』。逆は日常茶飯事ですが、八戒さんが倒れたとなるとどうやって治療すればいいのか?三蔵様なら一人旅の経験もあるので薬草の知識も豊富そうだし、法衣にたすき掛けして薬研で薬草をゴリゴリ、なんて姿が似合いそう(笑)、という、とことん誰得自分得なリクでした(汗)。
これをきっかけに八戒さんも薬品調合に目覚めた挙句正露○を手作りするようになったとしたら・・・(>▽<)
加賀屋 将希様、有り難うございました!!



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