| 「三蔵、今日の飲み会なんだけど」 パソコンのキーを打つ音のみが響くオフィスビルのフロア。 自分のデスクに近寄った女性が、何処となく上からな物言いで話し掛ける。 「・・・・・・欠席だと、以前から言ってる筈だが?」 普段通りを装い、極力声の主の方を見ないようにして話すが、 「・・・へえぇ」 見なくても、彼女がにんまりと口の端を上げるのが判る辺りが、忌々しいことこの上ない。 その上、彼女は身を屈めてこそっと言ってくる。 「じゃあ、先週、課長のお土産のお菓子、1人1個行き渡らせるところを2個取っちゃった事、言いふらしちゃってもいいんだ?」 「!っ・・・・・・」 「あ、ちなみに私が来客にお出ししたことにしたから♪」 「・・・・・・・・・」 こめかみに青筋が立ち、眉がひくつくのが、自分でも判る。 同期入社である猪 花喃。 自分がこの社の会長一族の出で、身分を隠して入社している事を看破され(偶然、他社のパーティーに家族で招待された写真を、伝で入手していた)、以降、何となくこの女には逆らえない。 無論、あからさまな脅迫をしてくるわけではないが、ここぞという時に、人の弱みを握り、それを逆手に取ることに長けているのだ。 そして今回も。 普段から飲み会の類は好きではなく、色々理由を付けて断っているのだが、今回は何が何でも自分を参加させたいらしい。 「というわけで、参加要請、というより強制参加。OK?」 「・・・・・・・・・」 ・・・この女、とっとと転職でも寿退社でもしやがれ! ――そして夜、都内某所の居酒屋。 「でさぁ、その時弟がぁ――」 「花喃、その話3度目」 「おいおい流石に拙いんじゃね?」 「顔真っ赤だし・・・さっきお手洗いに立った頃から、急にアルコールが回りだしたんじゃない?」 「い――え、私は酔ってませ〜ん♪」 (・・・出た、酔った人間の常套句)←全員の心の声 「・・・取り敢えず、アルコールは止めとけ。水かウーロン茶でも・・・」 「いやーよ、まだ梅酒が制覇出来てないもーん。あ、お兄さーん、黒糖梅酒ロックで〜♪」 「(全員)まだ飲むのか!」 「キャハハハハ♪」 「あー・・・こりゃダメだわ。花喃の家知ってる人?」 「私知ってるけど・・・全然逆方向なの」 「私今月ピンチだから、タクシー代まではちょっと・・・飲み代でギリ」 「車の奴は?」 「飲むつもりでいたから、今日は電車で来ちまったよ」 「三蔵は?お前車だったよな?」 「・・・・・・」 そう。 今日、花喃に脅されるまでは不参加の予定だったので、いつも通り車通勤だったし、アルコールも当然一切口にしていない。 しかも自宅は同じ方向とくる。 「(全員)それじゃ、宜しく!」 「・・・・・・」 生贄、という単語が頭に浮かんだ―― 花喃の自宅は、友人からの話と地図アプリ、そしてカーナビのお陰で難なく判明した。 本当はタクシーを拾って、明日にでも代金を請求しようかと考えていたが、 『私をちゃーんと家まで送ってくれたら、良妻賢母なうちの弟がデザートを振舞うから、損はしないと思うわよぉ♪』 ときた。 酔っていても状況は把握出来ているらしい上、更に弱みを逆手に取ろうとする辺り、この女只者じゃない。 それにしても弟に対して『良妻賢母』ってのはおかしいんじゃねぇのか? 色々突っ込みたいが、当の本人は歌うか笑うかで、こっちの言う事には反応しない。 そうこうしているうちに、車はこぢんまりとした家の前に辿り着いた。 「・・・ここか」 「そーよ♪ほら、エンジン止めて、私をおんぶしなさいよ。デザートが待ってるんだからァ」 「おい・・・」 調子に乗んな、と言いかけて、ギョッとした。 自分で助手席のドアを開けた花喃の姿が、忽然と消えたからだ。 ――いや、消えたのではない。 「あはははははははは♪」 ・・・地面に転がっていた。 負ぶって行けと言ったのは調子に乗ってるわけでなく、本当に足腰が立たないらしい。 決して甘い物に吊られたわけじゃねぇぞ、と、 誰にともなく呟くと、その身体を背負い、家のチャイムを鳴らした。 ピンポ――ン♪ 程なくして、スリッパの音が聞こえてきた。 弟とやらのものだろう。 この女の弟というのがどのような人物か、怖いもの見たさで鍵が開くのを待っていると、 カチャ キイィ 「!・・・・・・」 「え・・・?」 眼に飛び込んできたのは、碧の瞳。 確かに姉弟だけあって、背負っている女に非常に似通っているが、アクというか毒気というか、そのようなものが一切感じられない、清楚というに相応しい相貌。 姉と思って扉を開けたら見知らぬ人物が立っていたためだろう、ほんの少し驚いた表情が、より一層あどけなさを感じさせる。 「・・・夜分に失礼する。ご家族を送り届けに来た」 物事に動じやすい性格ではない筈なのに、 普段通りの声を出す、それだけのことにも苦労する。 ――何なんだ、一体。 「と、取り敢えず花喃、立てますか・・・?」 「馬っっ鹿じゃないのォ!?この状態で立てるわけないじゃな〜い・・・キャハハハハ」 つーかさっきも車から転げ落ちたばかりだ、と言うとこの青年を余計に心配させそうだ。 そんな柄にもない気遣いをしてしまう自分に、ますます戸惑ってしまう。 「・・・差し支えなければ、ベッドなりソファなり、体勢を落ち着かせられるところまで運ぼう」 「ご迷惑をお掛け致します・・・どうぞ中へ」 本当にお前ら姉弟か、と言いたくなるくらい、たおやかな物腰。 まあこの女が弟をいたく可愛がるのも、解る気がするが。 小さく灯りを点けたリビングに通されると、3人掛けのソファに花喃を横たえた。 ――が、この迷惑女の奇行はそれで終いではなかった。 手を出せと言った挙句渋々それに従えば、思いっきり引きちぎられた袖のボタン。 ・・・怒鳴りつけなかった自分を、褒めてやりたい。 「すすすすいませんっ!すぐ付けますからっ。ほら花喃、ボタンを返して下さい!」 「いや、帰ってから付ければいいから・・・」 「なぁ〜に言ってんだか。貴方針に糸なんて通したことないでしょう?反対側の袖口のボタンだって取れかかってるのに、ずっとそのまんまじゃないのよぉ〜・・・アハハハハ」 「そうなんですか?ならついでですから、ここでお付けします」 「・・・・・・・・・」 何であんたがそれを知ってるんだ、というのは愚問だろう。 とにかくあらゆる人間を観察し(それでいて仕事はバッチリ出来ているのが不思議だ)、つけ込んだり恩を売ったり、自分が優位に立てるためなら、どんな些細な情報でも収集し利用する。 しかも相手側に、それをそうと悟らせない手腕にも長けている。 なので、社内でのこの女の評判は、すごぶる上々なのだ。 その姉の本性を知ってか知らずか、申し訳なさで一杯の表情で見上げてくる瞳。 ・・・断りようがねぇじゃねぇか。 重ねて断って、この青年を更に恐縮させるのは本意ではない。 そこで、背広を脱いで青年に預ける。 「済まない・・・頼む」 「あ・・・はい」 ――この瞬間、ソファに沈んでいた女がにんまりと微笑んでいた事に気付けなかったのは、一生の不覚と言えた。 |
| なかがき 三蔵様サイド。普通に会社勤務ではありますが、やはりちょっとだけブルジョアジー(笑)。 でも花喃姉様の知略に掛かれば、そんなものはなきが如し。 ちなみに『いーえ酔ってませーん』という台詞は香月が実際飲み会で聞いたものです。言った人間は30分後にはピクリとも動かなくなりましたが(^_^;) |