原作では妹なんですが、ここはやっぱ花喃姉様で(笑)





 それから数日の間、奇妙な攻防戦が続いた。
 三蔵が悟ったのは、正攻法では勝ち目がないという事。
 幼少時に誘拐や暗殺の危険があったとかで、他者の気配には人一倍敏く、また体術の心得もある。
 かといって就寝中などは、衛兵――月の精霊宮のそれより一回り体格の良い――が扉の前に立ち、客人といえども主の睡眠を妨げる者は無下に追い払う。
 今日も今日とて、廊下の角で奇襲を掛けるべく待ち伏せをしていたが、ひらりとかわされてしまった。
 曰く、影が見えてますよ、と。

「何やってんだ、俺は・・・」

 午後のコーヒー――ヒトになって唯一すんなり受け入れられた習慣――を飲みながら、誰にともなく呟く。
 その時、ノックの音と共に、八戒が入って来た。

「三蔵、ちょっと散策にでも出てみませんか?」
「あ゛?何暢気な・・・」
「いいからいいから、まあまあまあ」

 そう言って無理矢理三蔵を連れ出し、馬に乗って――三蔵を自分の前に乗せて、だ――向かった先は、領地の南に広がる森の中の建物。
 離宮、という程ではないが、別荘というにはかなり立派なその建物に着くと、先に馬から降りた八戒は、馬の横で立膝を突いた状態で三蔵の手を取る。
 促されるがまま、三蔵は、八戒の膝を踏み台代わりに、地面へと降り立った。
 来訪を先に告げていたのか、執事か召使らしき人物が、2人を奥の部屋へと案内する。



 コンコンコン



「花喃様、領主様がお見えでございます」
「待っていたわ。通してちょうだい」

 執事の言葉に返ってきたのは、若い女性の声。
 扉が開き、中へ通される。

「ああ悟能、来てくれたのね。嬉しいわ」

 ベッドの上、長い髪を三つ編みにした女性が、幾つものクッションを背凭れにして身を起こし、来訪者を迎える。
 女性、と言っても恐らくは自分達と左程変わらない歳であろうが。
 それよりも驚いたのは、女性が首から下げている革袋。
 そこから数かに感じる、良く知る――しかしこの場に本来あるべきではない気配。

「貴方が悟能の大切なお客様ね、ようこそ。このようななり(・・)でお許し下さい。
 お茶とお菓子も用意しましたので、どうぞお寛ぎになって」
「・・・・・・感謝、する」
「花喃、体調はどうだい?」
「えぇ。ここのところ、とても調子がいいの。発作もないし、昨日は車椅子で少し外気浴もしたのよ」
「またそんな無茶をして・・・熱でも出たらどうするんだい?」
「大丈夫よ。確かに以前は外出した翌日はずっと臥せったりしていたけど、今日はきちんと起きて食事を摂ることも出来たし、とにかく以前とは比べ物にならないくらい良くなっているんですから」
「そうかい、それならいいんだ」

 本来なら女性を詰問したいところだが、和やかに話を交わす2人を見て、その場は口を噤む。
 花喃と呼ばれた女性は、どうやら長きに亘る病床の住人であるらしい。
 よく見れば、唇は年齢の割には色味が少なく、爪の色も薄い。
 頬は赤みを帯びているが、一方で手の内側が真っ赤になっているのがちらりと見えた。
 あれは、手で頬を叩いて血色良く見せようとしたのだ。
 見舞いに来た八戒を心配させないようにという気遣いなのだろう。
 ――そう言えばこの女性は八戒の事を『悟能』と呼んでいたが、どういう訳なのか。
 そこまで考えて、はたと気付いた。
 『八戒』という名は、領主自身が名乗ったに過ぎず、誰も彼をそう呼んではいない。
 もし、彼が自分に偽りの名を教えていたとしたら。
 ここで女性と睦まじく談笑しているのが、彼の本当の姿だとしたら。
 自分は、只の手慰みとしてあしらわれていたのだとしたら――

「・・・・・・・・・」
「どうしたんですか、三蔵?」
「お茶が温くなってしまったのかしら、今メイドを・・・」
「・・・・・・帰る」
「「え?」」

 驚きの声を上げるのも息ぴったりな2人をそれ以上見ていられず、

「三蔵!?」

 ティーカップを乱暴にソーサーの上に置くと、無言のまま部屋を飛び出した。
 屋敷を出て、門扉を抜け、敷地の外へ。
 元来た道とは逆の方向へ、我武者羅に。
 何も考えず、只ひたすら走って、走って、走って、
 木立が少なくなり、西日がちらちらと視界の端に入ってくるようになったと感じたその時、

「っ!?」

 急に視界が開けたと同時に、道が大きく曲がっている事に気付かず、
 走って来た勢いを殺ぐことが出来ずに、道を外れ、

「―――っ!!」

 足を踏み外したそこは、急斜面になった崖。
 宙に身を投げ出され、反射的に目を固く瞑る。

「三蔵っ!!」

 斜面に身体を打ちつけられる痛みの代わりに感じたのは、暖かくしなやかな感触。
 数瞬遅れて身体に衝撃が走るが、全身を包む『それ』の存在のお陰で、覚悟していた程の痛みは無い。
 何が起こったのか把握しきれないまま、三蔵の身体はどんどん斜面を転がり続けた――








「・・・・・・ぅ・・・」

 呻き声を一つ洩らし、三蔵は目を開けた。
 斜面を転落したところまでは記憶があったが、その後気を失っていたらしい。
 周囲は真っ暗で、暗視能力の低い三蔵には殆ど何も見えない。
 首を捻って上方を見渡すと、夜の帳が下り始めていた。
 自分の滑落した斜面は東向きなので完全な影になっているが、平地ではまだ若干明るさの残る時間帯らしい。
 と、今も尚、温かみのある『何か』が自分を包み続けている事に気付く。
 それが、ヒトの身体であるという事にも――

 まさか――

 自分が足を踏み外した時、聞こえた声。
 それが示す一つの可能性に、三蔵は無意識に胸元を鷲掴む。
 そろり、と静かに身を起こすと、手の平に『気』を集中させた。



 ポウ



 手鞠程の大きさの、月光の塊。
 ヒトの身になった今でも、月の在る時間帯であれば、この程度の術は繰り出せる。
 その光に照らされ、三蔵の視界に入ったもの――

「八戒・・・・・・!」
「・・・・・・ぅ・・・」

 三蔵が挙げた声によってか、もしくは周囲を柔らかく照らす光によってか、
 閉じられていた瞼が数回震えたかと思うと、

「・・・・・・あぁ・・・三蔵、無事、ですか・・・?」

 その緑柱石(エメラルド)の如き眸が自分を捉えた事に、その唇が自分の名を紡いだ事に、
 何故か安堵感を覚える自分がいる事に、三蔵は困惑する。
 困惑は、程なくして怒りへとすり替わり、

「無事ですか、じゃねぇだろうが!俺と一緒に滑落してどうする!手前(テメェ)の頭は飾り物か!?」
「いやぁ、もう少し早ければ良かったんですが、あの時はこうするしかないと勝手に体が動いちゃって」
「それが後先考えてねぇって事だろうが!俺一人どうなろうが何も変わりゃしねぇってのに、伴侶のいる貴様に何かあったら、あの女はどうするんだ!」
「・・・・・・は?」
「『は?』じゃねぇ!一体・・・」
「いえちょっと待って下さい三蔵落ち着いて」
「あ゛?」
「えぇとですね、僕これでも一応独身なんですが」
「じゃああの女は許婚か何かか」
「花喃ですか?あの人は僕の双子の姉ですよ」
「・・・・・・は?」
「ふ・た・ご・の・あ・ね」
「一文字毎に区切らんでも解るわっ!」
「僕らの住む地域の風習では、男女の双子は『双月児』――月に祝福された双子と呼ばれるんですが、月の精霊である貴方が判らなかったとなると、風習なんて眉唾ものですねぇ」
「生憎現役じゃねぇんでな。誰ぞの所為で」
「嫌味言わないで下さいよ」
「事実だろうが――それで思い出した」

 彼女が、首に掛けていた――

「――あの為に、月晶石を盗んだのか」

 三蔵の真剣な口調に、八戒も声のトーンを落とし、おどけた表情を引っ込める。

「・・・花喃は生まれつき体が弱く、空気の悪い街中で暮らすことが出来なくて、比較的空気のきれいな郊外のあの別宅の中で、1年の殆どの時間を過ごしているんです。それでも、突然発作に襲われ寝込むことは日常茶飯事でしたし、生死の境を彷徨ったことも一度や二度ではありません。
 僕が父の遺志に反して領土拡大より周辺地域との和平という道を選んだのも、危険を承知で石を盗んだのも、全ては花喃の為なんです・・・」
「・・・・・・」
「実際、石を持たせて半月、彼女の容体はめきめきと良くなっていきました。無理さえしなければ、短時間の外出が出来る程に・・・」
「・・・だろうな」

 月は、治癒と守護を司る。
 その力を凝縮させた月晶石だ、一人の人間を病から回復させるくらいは難ないだろう。

「――だが、あれは一人の人間の為に使っていい力じゃねぇ。とっとと返し――()っ」
「三蔵!?」

 八戒が駆け寄って見ると、三蔵の左足の内側が、ざっくりと無残に裂けていた。
 足を踏み外した際に、石で切ったのだろう。
 転落の衝撃で忘れていた痛みが、三蔵が気を取り直したと同時に存在を主張し始めたらしい。

「傷病みにならないよう、早めに傷口を洗った方がいいんですが・・・生憎水の持ち合わせが無くて・・・」
「・・・必要ない」
「そういう訳にはいかないでしょう?さ、そこの岩に腰を下ろして下さい」

 腰を下ろすのに手頃な岩を示し、座るよう促す。
 逆らう理由もないので、言われるまま岩に腰掛ける三蔵。

「じっとしてて下さいね――・・・」
「何・・・・・・っ?」

 そろりと、
 八戒の舌が、傷口をなぞる。
 時折唇を付け、吸い出しているのは、傷に入った小石や砂だろうか。

「ぁ・・・・・・っ、や、めっ・・・・・・クッ」
「痛いでしょうけど、我慢して・・・」

 確かに、傷を舐められ、舌や唇で異物を探られ、これ以上ないくらい痛い。
 だが、痛みよりも更に強く感じる『何か』に、三蔵は洩れそうになる声を抑えるのに必死で、
 光を携えている右手とは逆の手で、息すらも洩れぬよう口元を押さえ続けた。
 一しきり処置が終わると、八戒は傷口をハンカチで縛る。

「さ、応急処置は済ませましたから、館に戻ったらきちんと――・・・」

 言葉に出来たのは、そこまでだった。
 何かをこらえるように固く目を瞑り、横を向く三蔵。
 その白磁の肌が、目元だけ朱を刷いたように紅く、
 思わず手を伸ばし、口元を塞いでいる手を外す。

「!・・・・・・」
「・・・唇・・・駄目ですよ、噛み締めちゃ・・・」
「・・・・・・ぁ・・・」

 歯で噛み締めたため、赤みを帯びた唇を、そっと八戒の指がなぞる。
 ぴくり、と硬直する三蔵の肩。

「じっと、してて・・・下さいね・・・」

 さっきと同じ台詞なのに。
 先程とは違い、『何か』を含んだ声。
 互いの吐息が、触れる程に近付いて――・・・

「おーい!八戒ー!無事かー!?」
「「っ!?」」

 崖の上から聞こえてきた声に、反射的に身体を離す。
 同時に、三蔵の掌上の光も、三蔵の意識が逸れたことで霧散した。

「その声は、悟浄ですかー?」
「おーよー、花喃さんから連絡受けて、探してたんだぜー?」

 どうやら、自分達の行動に只ならぬ様子を見て取った花喃嬢が、援軍を寄越したらしい。
 程なくして、丈夫なロープが下ろされ、2人は崖上に無事引き上げられた。
 八戒より上背の高い、赤毛の長髪が印象的な男が、労うように八戒の肩を抱く。

「ほいお疲れ」
「あぁ悟浄、お手数お掛けしましたね」
「んにゃ、花喃さんの頼みを断ったら色々怖いからな」
「何ですか、それ」
「あぁ、あんたが八戒の『大切なお客様』?俺は悟浄。
 コイツ等姉弟とは幼馴染みの腐れ縁って奴」
「・・・・・・」

 『幼馴染み』も『腐れ縁』も、三蔵には聞き慣れない単語だったが、前後の遣り取りから、八戒と知己の仲という事だけは察することは出来た。

「・・・悟浄、お手数ついでにすいませんが、僕等を、花喃の屋敷へ送ってもらえませんか?」
「おぉ、最初からそのつもり・・・って、おい八戒!?」
「八戒!?」

 自分の肩を抱く悟浄に寄り掛かるように立っていた八戒だが、そのままずるずると地面へ崩れ落ちていく。
 よく見ると、着衣の背中や袖が擦り切れ、血が滲んでいる。
 そこで三蔵は初めて、八戒が今までずっと、自分に背中を見せなかった事に気付いた。
 自分を庇って負った怪我の存在を悟らせないように――

「やっぱ花喃さんに言われて馬車出して来たの、正解だったな。
 ほれ、お宅も乗って乗って。花喃さんトコ行けばすぐ治療出来るからよ」
「・・・判った」

 促され、馬車の後部座席、八戒の隣に乗り込む。
 自分より酷い怪我を負う八戒に、言い様のない感情を抱きながら――







なかがき

頁的にも内容的にも、ある種のターニングポイント、というよりハイライト。
足の怪我を舐めるシーンはもちろん原作準拠。これを読んだ当時高校生の香月は、艶かしさに顔を赤らめたもんです(笑)。といいますかよくこの内容をコバルトで出したもんだ(^_^;)。
そして一方で宝珠を盗んだ原因が判明。原作では病床で身を起こしヒロインを迎える妹の姿が挿絵で描かれていたのですが、まあ見るからに儚げで護りたくなるような美少女でしたね。花喃姉様とは大ちg(略)。